月刊「聖母の騎士」 5.ブラジル人になった日本人が日本で感じたこと ホームへ
表紙へ![]() 今年の春、6年ぶりに日本訪問ができました。そこで感じたことは、日本も変わったけれど自分の方がもっと変わってしまったということでした。もう25年ほど前に国籍をブラジルに変えてから、私の中のブラジル化が進んだのかもしれません。 聖週間の聖香油の祝別のミサに、横浜の司教座聖堂へ行きましたが、外国人の神父さんの多いのにびっくり、どうして日本へはこんなに沢山の神父さんが行くのかしらんと考えさせられました。その上、沢山の数のシスターたちが働いているんですね。ところが、もっとびっくりしたのは、それでも日本には神父さんが足らないという声を聞いたことです。私が働いている教区の信者数は、日本の全信者数の約半分の20万人ほどですが、そこで働いている神父は27人、シスターの数も30人を越えません。私が一人で受け持っている小教区は教区で一番小さな小教区です。それでも2500人ほどの信者さんがいます。 新幹線で岡山から福岡まで行きました。そのスピードの速いこと、これにもびっくりしました。“こだま”も“ひかり”も超満員で席がなく、“のぞみ”にようやく乗れましたが、乗車賃が高いこと。こんなに高い列車で旅行する人が多いのも驚きでした。私の住んでいるブラジルの田舎では、景気がだんだん悪くなり乗客が減ったので、バスの回数も減ってしまいました。 列車の窓から眺めた景色には、畑があんまりないんですね。工場か家か、山か森だけです。日本であれだけの紙が使用され捨てられているし、あんなに沢山の木造家屋があるのに、山に木が一杯生えているのは、一体どうしてかしらん。世界のどこかで自然が破壊されているのではないかしらんと、今度は心配し始めました。お金を払っても自然を破壊する権利はありませんよね。 町を歩いて、子供たちが走り回ったり、遊び回っている姿を見ることができなく寂しい思いをしました。少子化現象のせいかも知れませんが、塾に行ったり種々のお稽古に行ったり、或いは、TVやテレビゲームに取り付かれて外で遊び回ることも知らない子供たちの将来が心配です。現在の日本の子供たち若者たちの犯罪の原因がこんなところにもあるのではないかしらん。子供が子供らしく遊ばなかったら、どんな若者ができていくでしょうか。ブラジルのストリートチルドレンは困ったことですが、田舎では子供たちの笑い声や泣き声が一杯で、よほど注意して自動車を運転しないと子供たちを怪我させてしまいます。ミサ中も神父は子供たちの騒ぎに負けないように大声を出さなければなりません。しかし、子供たちの走り回る姿は、私たちを慰めてくれます。 日本では野菜まで輸入しているということも驚きでした。貿易収支の均衡のためと言われますが、ブラジルの田舎者にとっては驚きを越えて脅威です。農業にどれほど努力しても、生活が苦しくなる一方のブラジルと、どうしてこんなに違うのかしらん。九州とか北陸の田舎へ行ったとき、畑や田園を見ることができましたが、日本の中心部の畑は、お茶とか、みかんとか嗜好品の生産地に変わっていますね。 訪日前に、日本は景気が悪いと聞きましたが、あらゆるところですごい工事が行われているのを見てびっくりしました。すべての工事が止まってしまったようなブラジルと、どうしてこんなに違うのかしらん。日本は大きな借金国だと聞きましたが、ブラジルも借金で首が回らなくなっている国です。アメリカへは行きませんでしたが、アメリカは世界最大の借金国、まるで世界は借金で動いているようですが、それらの借金国が極貧の借金国の債務を許そうというのは、一体どういうことなのでしょうか。大きな借金国が繁栄し、小さな借金国が塗炭の苦しみにあっているのも不思議です。ブラジルは大きな借金国です。ところがブラジル国民の大半は、繁栄どころか、だんだん貧しくさせられています。 太田の教会で私の受け持っている小教区の信者さんに会うことができました。出稼ぎに行った人たちです。理解のある神父さんや信者さんに囲まれた出稼ぎの人は幸いですね。浜松では、ブラジル、ぺルー、ボリビヤからの労働者と一緒に、賑やかなラテンアメリカ的ミサを捧げることができました。ブラジルに帰ったような嬉しい気持ちになりました。ミサの終わったのは夜9時頃でしたが、それから皆で浜松駅の周辺に住んでいるホームレスの人たちに、いくつもの大きな魔法瓶に入った温かいみそ汁やおにぎりや古着等を持って行って配る姿に本当に感激しました。もう何年も続けているそうです。公教要理もあまり知らず、貧しさから逃れるために出稼ぎに来ていながら、もっと貧しい日本の人たちへの奉仕を忘れない彼らの姿は、中南米の教会の姿を垣間見せてくれるものでした。こうした青年の何人かは司祭や修道女への召出しを感じ、その準備のため自分の国に帰って行ったそうです。2世の神父さん、いつまでも頑張ってください。 静岡では、2世の神父さんやシスターたちが中心になって行われている、出稼ぎの外国労働者に奉仕するカテキスタ養成講習会に出席できました。自分たちで自分たちの子供たちへイエスの教えを伝えようとするあの熱心はどこから来るのでしょうか。 日本の人たちは昔と違って個人主義になってしまったと聞きました。しかし、駅で電車の乗り場を聞いても、道で案内を乞うても、皆さんが本当に親切に教えてくださるのにも、びっくりしました。横浜で眼科医院へ行くのに、タクシーを拾いました。タクシーの運転手さんがその医院を知らなかったので、近くの場所で降ろしてもらい歩いて探しに行きましたら、タクシーがその近所を一巡してきて、わざわざ「あそこでした」と教えてくださったのには頭がさがりました。忙しそうに歩いて行く会社員や頭を染めた若い人に道を尋ねると、こちらがびっくりするほど親切に教えてくださいました。私も彼らに習わなければならないと何度も反省させられました。「愛する人はすべて、神から生まれた者で、神を知っています」(一ヨハネ4・7)という聖句を思いだし、心を温かくしました。知った人、知らない人と出会っても、いつも心に喜びを感じさせられ、神の国はそこに来ているのだなという思いを深くさせられました。 また、少しでしたが教会も訪問できました。それぞれ、誰にも知られないで、貧しい開発途上の国々や貧しい人たちへこつこつと援助をしているのを見ることができ心を温められました。教会の貧しい国、貧しい人たちへの熱意はすばらしいものですね。 東京の四ツ谷の交差点で、あの自動車の波を見ているだけでくたびれてしまう私は、もう日本に住む資格がありません。今度の日本滞在の間、どれほどブラジルの田舎ののどかさに郷愁を感じたことでしょう。私の受け持っている小教区の人たちや、フマニタスの患者さんや若者たちへの思いも消すことのできないものでした。 今度の訪日で一番感じたことは、私はもう日本人をやめてしまったということです。ブラジルが私にとって本当の故郷になったようで感謝しています。 |
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