月刊「聖母の騎士」 1.この人2001   ホームへ   表紙へ

この人
2001



 アメリカの同時テロ事件のニュースが伝わった際、アフガンのほとんどの人々は、テロリストを強く非難し、犠牲者への哀悼の意を表しました。
 しかし、テロを指揮したとされるビンラディンが潜伏しているという理由でアフガンを攻撃するアメリカに対してアフガン人は今までにないけた外れの敵意を抱いています。
 アフガン人は、日本人に対して、たいへん親しみを持っています。どんな山奥の小さな村に行っても、広島、長崎に原爆が投下されたことを知らない人はいません。アフガン人たちは、自分たちの国を侵略したロシア、イギリスと戦った日本に好意を持っています。もっとも、日本についての正確な知識はほとんどありません。真顔で「日本まで歩いてどのくらいかかるのか」と聞かれたことがあります。
 アフガン人の間に外国人排斥の動きがあっても、日本人は例外とされてきました。このおかげでペシャワール会の活動がどれほど助けられたかわかりません。しかし、今度のアメリカのアフガン攻撃に日本が協力したことで、アフガン人の親日度が下がることは間違いありません。
 私がアフガンに来た17年前と比べると、この地を東西に横切るヒンズークシ山脈に降る雪が目に見えて減っています。雪解け水の量も激減しています。降雨量も同じです。地下水の水位が下がっています。昨年、アフガンは史上最悪の干ばつに襲われました。川は干上がり、井戸は涸れました。田畑や牧草地は乾き、砂漠になりました。多くの農民や遊牧民が難民となり、都市に流れ込みました。飢えと水不足で約100万人が餓死したと言われます。このことは、全くと言っていいほど、先進国では報道されませんでした。それどころか、アメリカや国連は、アフガンをテロ支援国家に指定して経済封鎖を続けています。
 干ばつにより、首都カブールやジャララバート、カンダハルなどの都市は、町全体が難民収容所になりました。今回のアメリカの攻撃を恐れて金持ちの人たちはパキスタン国境に殺到しています。都市に残っているのは、どこにも行くあてのない本当に貧しい元農民や遊牧民ばかりです。
 今回のテロ事件は、終わりの始まりだと私は思っています。経済的繁栄と安全が両立する社会が成り立たなくなったのです。安全に平和で暮らせる社会か、豊かだけれど危険と隣り合わせの社会か、のどちらかを選択しなければならなくなったと私は思います。


ペシャワール会
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アフガンで活躍する医師
中村 哲 さん 


17年前から、アフガニスタンとパキスタン国境で活躍する日本人医師がいる。福岡市に本部を置くNGO「ペシャワール会」アフガン代表の中村哲さんは、9月30日、福岡市の河合塾で自らの体験を生々しく語った。10月1日戦禍のアフガンに戻った。