月刊「聖母の騎士」 5.連載カトリック講座 第36話(最終回)    ホームへ   表紙へ

 ルイス・カンガス

プロテスタントとカトリックと仏教



 昔むかし、ある所でサッカーの試合がありました。プロテスタント対カトリック戦です。それは激しい試合でした。イエスは夢中になって見ておられました。まずプロテスタントの選手が見事にゴールを決めました。イエスは立ち上がり、どのファンよりも熱心に応援したり拍手を送られていました。しばらくして今度はカトリックの選手が素晴らしいゴールを決めました。イエスはまた立ち上がって大きな声で応援なさいました。イエスの側に座っていた客はイエスに聞きました。「結局、あなたはどちらのチームを応援しているのですか?」と。イエスは「私は一所懸命にやるチームを応援します」と答えられました。
 良心的に一所懸命にやれば、プロテスタントでも、カトリックでも、イエスは彼らの味方だと思っています。いけないことは、人の足を引っ張って争うことです。大事なことは、互いに尊重し合ってイエスの遺言を実現することです。
 「互いに愛し合いなさい。それによってあなたがたは私の弟子である」(ヨハネ13・34、35)
 「私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これは私の掟である」(ヨハネ15・12、17)
 「父よ、すべての人を一つにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになる」(ヨハネ17・21)
 四世紀の分裂を癒すために、プロテスタントとカトリックはまず自分の足りないことを認めながら、相手の良い所を誉(ほ)め、尊重することが必要です。キリストの教えが、なぜ日本で広まらないかと沢山の人々は聞きます。多分、イエス様はこう答えられるでしょう。「すべての人を一つにすれば、あなたが、私をお遣わしになったことを信じるようになります」(ヨハネ17・21)
 キリスト教が色々の宗派に別れている限り、真の宗教として認めにくいのではないでしょうか? 第二バチカン公会議の素晴らしい実りの中の一つは、従来、離ればなれになって争っていたカトリックとプロテスタントが方向を転換して、一致に向かって来たことでしょう。これが完全な一致に至るまで、慎重かつ懸命にゆっくり進むべきでしょう。大事なことは、方向が変わって来たことです。完全な一致は時間の問題でしょう。兄弟であるプロテスタントとカトリックが話し合うために、相手が何を考えているかを知る必要がありますから、これからプロテスタントとカトリックの相違点と共通点を述べましょう。両者の90パーセントは共通点であり、10パーセントだけ相違点があると言えるでしょう。

 (1)神−−両者とも三位一体の神を認め、またイエスを神の独り子として礼拝し、その御受難と御復活を認め大切にしています。
 
 (2)聖書−−両者とも新約聖書の27書を神の言葉として受け入れています。
 旧約聖書について簡単に説明します。旧約聖書の39書がヘブル語で書いてあります。その他の7書は、ギリシャ語で書いてありました。キリストの時代にパレスチナに住んでいたユダヤ人は旧約聖書としてこの39書だけを認めていましたが、外国に住んでいたユダヤ人は、ギリシャ語で書いてあった7書も神の言葉として認めていました。この7書とは、ユディト、トビト、知恵、集会、バルク、マカバイの1、2です。最近できた共同訳聖書には7書も含まれています。プロテスタントは旧約の39書を、カトリックは39書以外の7書も聖書と認めています。
 
 (3)聖書の解釈
 プロテスタント−−正しい解釈ができるために、聖霊が聖書を読む人を照らす、と信じています。また、プロテスタントの中にも色々の宗派があります。
 カトリック−−教職によってすべての信者が同じことを信じます。教職とは、人間が間違わないために、聖霊がローマ法王と司教と教父を照らして正しい解釈をします。カトリックの聖書には注釈が付いています。

 (4)ミサと秘跡を通じて神が恵みを与える
 プロテスタントは入信の儀式(洗礼と堅信)を認めます。カトリックは他の5つの秘蹟も認めます。
○聖体−キリストの体は心の糧です。
○告解−洗礼後の罪を赦します。
○結婚−夫婦と親の責任を果たすことができるように恵みを与えます。
○叙階−罪を赦し、パンを聖別し、祈り、み言葉を伝えることができるように恵みを与えます。
○病油−病人と臨終の時に心の清さ、安心感、場合によって健康の恵みも与えます。
〈ミサ〉カトリック信者は、原則として毎日曜日ミサにあずかり、感謝し、聖体をいただき、キリストの死去と御復活に参与します。
 プロテスタントにはミサがありません。その代わりに信者は毎日曜日、教会で聖書を読み、説教を聞いて、祈ります。
 
 (5)罪の赦し
 プロテスタント−−原罪によって人間は根本的に不完全となりました。持つべき恵みを奪われました。
 カトリック−−原罪によって恵みが奪われましたが、人間は不完全ではありません。
 カトリック−−洗礼と告解によって義とされた際に、原罪と自罪がなくなります。
 プロテスタント−−原罪と自罪は残っているけれど、隠されます。洗礼を受けても原罪の結果である悪い傾きが残っているので、原罪も残るはず、との理由からです。
 カトリックではキリストの恵みによって罪が消えますが、悪い傾きは残る、と教えます。キリストの恵みは罪に完全に打ち勝ちます。
 
 (6)マリアと聖人のとり成し
 プロテスタントはパウロの言葉を文字通り解釈して、マリアと聖人のとり成しを認めません。
「神と人との間の仲介者は、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです」(一テモ2・5)
 これと違って、カトリックはマリアと聖人を尊敬して、とり成してくださるように祈ります。「イエスはマリアの祈りによって奇跡を行われた」(ヨハネ2・1〜11)。また、昔から聖人のとり成しを求める習慣があったからです。
 
 (7)御像、御絵
 プロテスタントは旧約聖書を文字通り解釈して御像と御絵を飾りません。理由としてこれは出エジプト記の「あなたはいかなる像も造ってはならない」(出20・4)によります。
 モーセの時代の人々は実物と象徴の区別をすることができませんでした。黄金の牛を絶対者として拝んでいました。しかし、今はだれでも写真と、そこに写っている自分の子供の区別が分かります。また、初代の教会の信者はカタコンベにすでに絵を描いていました。

 (8)プロテスタントの誕生
 確かに十六世紀のカトリック教会には色いろの欠点、躓き、罪さえもありました。司祭であったルターは良い心をもって、それを直すために改革しました。彼はお金で霊的な恵みを買うこと(免罪符)で、もう我慢の限界がきて、95条からなる抗議文を教会の門に貼りました。一五一七年十月三十一日のことでした。
 それ以来、四五〇年の間にカトリックとプロテスタントの溝はどんどん深くなりました。しかし、第二バチカン公会議によって、カトリックは自分たちの過ちを認め、プロテスタントの良いところを認めました。これによって、カトリックとプロテスタントの分裂が転換して、一致に向かい始めました。きっと神の恵みと私たちの努力によって、数十年、数百年たったら、カトリックとプロテスタントは同じキリストの晩餐にあずかることができるでしょう。これはキリストの最後の晩餐の祈り、私たちの最高の望みです。私たち一人ひとりは置かれている場で、これを実現するように努めましょう。
 
 (9)ギリシャ正教会
 カトリックとプロテスタントの分裂のずっと前(一〇五四年)、一つの分裂がありました。
 カトリックとギリシャ正教会の分裂です。この分裂は宗教的な違いより、政治的な理由で起こりました。テオドシウス皇帝は帝国を二人の息子に分けて、東をアルカヂオに、西をホノリウスに任せました。東の方にいた人々が、西方にいたローマ法王の下にいるのは不都合があって、ローマから独立して、彼らは自分の責任者をコンスタンチノープルの総司教に決めました。正教会はローマ法王を認めない以外はカトリックと殆ど同じです。なお、幸いにも一九六五年パウロ六世とアテナゴラス総司教(ギリシャ正教会の責任者)は分裂を解消しました。二つの教会の完全な一致は、おそらく、時間の問題でありましょう。
 
 (10)仏教−−「神はすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(一テモ2・4)
 イエスは最後の審判を次のように描いています。イエス自身が救われる人々に話されます。「私の父に祝福された人たち、おまえたちのために用意されている国を受け継ぎなさい。−−わたしが飢えていた時に食べさせ、乾いていた時に飲ませてくれたから−−」。すると正しい人々が王に答えます「いつ私たちはあなたが飢えているのを見て食物を差し出したでしょうか」と。そこで王は答えます。「私の兄弟であるこのもっとも小さいものの一人にしてくれたことは私にしてくれたことです」(マタ25・31〜46)。
 この言葉は私たちの先祖たちにぴったり合うのではないでしょうか。彼らはキリストを知らなくても、立派に家庭のために尽くし、一所懸命に働いて、沢山の方がたに恵みを与えたのではないでしょうか。人々のために尽くしたことはイエス自身のためにしたことですから、イエスは彼らを天国に迎えるでしょう。
 第二バチカン公会議、「教会憲章」16に書いてあることをまとめて紹介しましょう。
 人間は教会とキリストを知る機会がなくて、神のことがよく分からなくても、良心的に生活し、人々のために尽くしたなら、この人は救われるために神から恵みが与えられるでしょう。
 仏教の信者は、キリスト教に入るために先祖に対する崇拝を捨てないように。むしろ、先祖を通じて、先祖の源である絶対者に出会うように。絶対者は直接ではなくて、先祖を通じて命を与えてくださいましたから、私たちも先祖を通じて絶対者まで行きましょう。先祖は神と私たちをつなぐ橋です。往復の橋、大切な橋です。
 先祖と死者についてのカトリックの考え方は次のパンフレットにまとめられています。
(書名)「祖先と死者についての
カトリック信者の手引き」
(編者)カトリック司教協議会諸宗教委員会
(発行)カトリック中央協議会
 
 (11)最後に日本でよく知られている三つの新興宗教を簡単に紹介します。

 (1)エホバの証人
 正式には「ものみの塔聖書冊子協会」と呼ぶ。1870年ごろ、アメリカで創設される。日本には1912(大正1)年に伝来。キリストはすでに再臨しているとして終末の到来を説き、独特の聖書解釈を行う。兵役、輸血、格闘技などを拒否する。信者が戸別訪問して伝道する。

 (2)統一教会
 世界基督教統一神霊協会のこと。韓国人の文鮮明氏が創始者。宇宙の根本原理はひとつであり、この原理を説き明かして、全宗教を統一し、世界を建設すると主張する。原理運動とも呼ばれる。反共産主義の国際勝共連合と連携している。創始者が決めた相手と結婚する「合同結婚式」が話題になる。文鮮明氏を新しいメシアとしている。

 (3)モルモン教
 末日聖徒イエス・キリスト教会が正式名称。1830年、アメリカ人のジョゼフ・スミス氏(1805〜1844)が創設。「モルモン経」を聖典とする。初期には一夫多妻制を認めていた。アメリカ・ユタ州に本部がある。日本には1901(明治34)年伝来。信者は、酒、タバコ、お茶を飲まない。
 
 今まで、三年間に亘って、カトリック教理について、皆様と一緒に沢山のことを考え、書きました。この機会を与えて下さった聖母の騎士社の皆様を始め、愛読して下さったお一人お一人に感謝申し上げます。

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ルイス・カンガス(Luis Cangas)

広島・祇園カトリック教会主任司祭
1926年、スペイン・カストロ市生まれ。

1941年、イエズス会に入会。
1951年、来日。1958年、司祭叙階。

1966年、東京・麹町の聖イグナチオ教会に赴任、永年主任司祭を務める。
1978年、NHK大河ドラマ「黄金の日々」でルイス・フロイス役を見事に演じる。1998年、広島・祇園教会に赴任。
著書に「希望に生きる」(ドン・ボスコ社)、
「あなたに知らせたかったこの話」(女子パウロ会)などがある。