[命]柳本繁春師 日時 2021/02/15 終日


[2021] 司祭 レオ 柳本繁春

2021年2月15日 奄美での宣教23年、兄弟レオ 柳本 繁春 神父

1935年(昭和10年)3月13日に、山梨県北巨摩郡双葉町(現在の甲斐市)に生まれ、1951年(昭和26年)11月24日にカトリック甲府教会にて受洗しました。翌1952年(昭和27年)12月7日に、同じ教会にて受堅。

1955年(昭和30年)4月4日にコンベンツアル聖フランシスコ修道会に入会し、1956年(昭和31年)5月1日に聖母の騎士修道院にて有期誓願を宣立。1959年(昭和34年)7月14日に聖ボナヴェントゥラ大神学院(東京都北区西ケ原2丁目16番地、飛鳥山公園と旧渋沢栄一氏飛鳥山邸隣)にて終生誓願を宣立。

1960年(昭和35年)7月18日(月)、兄弟インノセント坂谷豊光、兄弟パチフィコ山内春治、兄弟ベルナルディノ萩原栄三郎、兄弟アントニオ・ファザニ梁恕の神学生と共にイタリア留学のため出発。
1963年(昭和38年)12月8日にイタリア・パドヴァにて助祭に、翌1964年(昭和39年)3月14日に、パドヴァにて兄弟アロイジオ松尾隆幸、兄弟パチフィコ山内春治と共に司祭に叙階されました。

同1964年11月に帰国し、小長井修道院(長崎県北高来郡小長井町)に所属しながら聖母の騎士園(児童養護施設)にて指導員として奉仕。
1966年(昭和41年)11月から奄美修道院(鹿児島県)に派遣され、聖心・古田町マリア教会助任司祭、後に古田町主任司祭を経て、大熊教会主任などで宣教司牧に従事しました。
1973年(昭和48年)2月からは小長井修道院所属・聖母の騎士園の園長として多くの子どもたちと共に過ごし、後に小長井修道院院長、椿原中学校と聖母の騎士小学校の校長を務めます。

1985年(昭和60年)4月からイタリア・アッシジのサクロ・コンヴェントに派遣。1988年(昭和63年)4月から関町修道院(東京都練馬区)の修道院長・修学院長として大神学生の養成を担当。

ふたたび1991年(平成3年)4月から奄美に派遣され、大熊教会主任、後に龍郷地区の主任として司牧を担当。
1997年(平成9年)4月からの3年間を由布修道院(大分県)院長として教会主任を兼務し司牧に従事しました。2000年(平成12年)4月から湯江修道院(長崎県諫早市高来町)に所属し、養護老人ホーム聖フランシスコ園の園長として奉仕。

みたび2004年(平成16年)4月から奄美に派遣され、古田町マリア教会助任、特別養護老人ホーム奄美の園の園長を、後に古仁屋教会主任、奄美修道院院長、古田町マリア教会助任として司牧奉仕。
2013年(平成25年)4月から聖母の騎士修道院に所属し、本河内教会の主任司祭として奉仕した後、よたび2017年(平成29年)4月から奄美にて宣教師牧。

しかし奄美での司牧中に体調がすぐれず、2019年(令和元年)に本部修道院にて療養。その後、2020年(令和2年)に東京都武蔵野市吉祥寺の病院に入院し、重篤な状態が長期に亘っていましたがそのたび毎にもち直し、今年になり危篤状態が続いていました。

今年2月の管区通信では、医師からは血圧測定が不可能になり、心不全の重症状態で、いつ亡くなってもおかしくないとの報告をいただいていますと管区からのお知らせがありました。

2021年2月15日(月)午前11時54分、入院先の東京都武蔵野市の病院にて、約86年の生涯を終え、天の父のもとに召されました。

兄弟レオ神父様の口癖はイタリア語で「lo so」知っているよ、そんなに、いいよ、こうよなどの日本語の意味も含め「so so so」「そ、そ、そう」でした。短い言葉に、親しみを感じる兄弟レオ神父様の愛情が含まれているようでした。
温厚な性格で、素朴に訪れる人びとに話しかけ、穏やかな交わりをたいせつにしていました。寡黙な一面もある神父様でしたが、聖母の騎士修道院在籍時はほとんどの兄弟会員がイタリアに派遣された経験者。毎週の共同休憩では、よくサクロ・コンヴェントでの典礼の話や世界各地の兄弟たちの話題で、楽しい時間を過ごしていました。