[命]田川幸一修道士 日時 2021/04/15 終日


[2021] 修道士 小崎トマス 田川幸一

2021年4月15日 兄弟トマス小崎 田川幸一修道士

兄弟トマス修道士は、1928年(昭和3年)3月1日に当時の日本國でこんにちの北朝鮮の雄基(ゆうき)にて生まれ、その年に受洗しました。1935年(昭和10年)に父トマ松吉が亡くなり、1941年(昭和16年)に母の郷里である西彼杵郡浦上(現在の長崎市)に帰国。
1945年(昭和20年)8月9日(木)、長崎の町を破壊した原子爆弾投の熱線と爆風・放射線から逃れ、その混乱のかなでも生き延びましたが、唯一の肉親である母クララ ワサは浦上・岡町の自宅にて亡くなりました。
その後、父の郷里である長崎県西彼杵群黒崎村に親類を頼りましたが、同年10月、母とたびたび訪れていたOrder of Friars MinorConventual[コンベンツアル聖フランシスコ修道会]の無原罪の園(現在の聖母の騎士修道院)に入会しましたが、腎臓結核・脊椎カリエスなど闘病生活を余儀なくされ(小長井修道院所属)、1965年(昭和40年)3月27日に単式(有期)誓願を、1968年(昭和43年)3月27日に荘厳(終生)誓願を宣立しました。

有期誓願宣立後は、長崎の聖母の騎士修道院に派遣され、月刊『聖母の騎士』誌の印刷・編集に携わり、月刊『カトリックグラフ』誌の編集も兼務しました。1970年(昭和45年)6月には赤羽修道院への異動の任命を受け、月刊『カトリックグラフ』誌の編集長。
1974年(昭和47年)3月に再び長崎に戻ると、1982年(昭和57年)4月から本修道会の出版社[聖母の騎士社]において月刊『聖母の騎士』誌の編集長として奉仕。
1985年(昭和60年)4月からは、小長井修道院に所属し、聖母の騎士小学校・椿原中学校の校長として奉仕し、その後聖母の騎士修道院の所属し、1991年(平成3年)から1991年(平成3年)まで聖コルベ記念館の館長の任務を果たし、2014年(平成26年)まで聖コルベ資料室長、けがれなき聖母マリア霊性交流センターなどにて奉仕ました。
2015年(平成27年)1月19日に、兄弟トマス小崎修道士はわたしたちの修道会が運営する長崎県諫早市の養護老人ホーム『聖フランシスコ園』に入所し、2021年(令和3年)2月5日から癌のため病院に入院し、その後ホスピス病棟へ。
同年4月15日(木)午後6時48分、入院先の病院にて帰天。93歳。

兄弟トマス小崎修道士は17歳の時に被爆し、母の50回忌となる1994年(平成6年)8月9日以降、平和をテーマに講話をしながら自らの被爆体験と聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の愛の殉教を通し、語り部として絶えずに人びとに、特に学生たちに寄り添い、身近なところから平和について考えるよう問いかけていました。

また、出版物を通して福音宣教に対する際限なき情熱において、聖マキシミリアノ・マリア・コルベの生涯を多くの人びとに伝える協力者でした。そして、常にコミュニケーションの新しい手段に関心を寄せ、何年にも亘ってBlogを更新し、聖マキシミリアノとの経験を人びとと分かち合っていました。

最期まで「神のみ旨のままに」「生かされて今日も祈る」ことを、神のみ摂理に自分自身をゆだねていました。小崎登明というペンネームで多くの著作を残しています。

1928年03月01日 北朝鮮雄基生まれ 同年北朝鮮雄基教会にて洗礼
1945年10月08日 コンベンツアル聖フランシスコ修道会に入る
1953年07月25日 小長井修道院
1964年02月01日 聖母の騎士修道院
1965年03月27日 有期誓願宣立
1968年03月27日 終生誓願宣立
1970年05月01日 聖母の騎士修道院、カトリック・グラフ編集長
1970年06月25日 赤羽修道院、カトリック・グラフ編集長
1973年02月16日 赤羽修道院
1974年03月01日 聖母の騎士修道院
1982年04月01日 聖母の騎士修道院、聖母の騎士社編集長
1985年04月01日 小長井修道院、椿原中学校長、聖母の騎士小学校長
1991年04月01日 聖母の騎士修道院、聖コルベ記念館長
1997年04月01日 聖母の騎士修道院、聖コルベ記念館担当
2002年04月01日 聖母の騎士修道院、聖コルベ資料室長、けがれなき聖母マリア霊性交流センター担当
2005年04月01日 聖母の騎士修道院
2015年01月19日 聖フランシスコ園入所
2021年02月05日 聖フランシスコ病院入院 同月24日 ホスピス病棟へ
2021年04月15日 帰天 享年93歳

17歳の時、長崎で被爆し、修道士の道に入った。月刊「聖母の騎士」誌に通算50年に渡り執筆や編集に関わった。また、自身の被爆経験を多くの若者に伝え、特徴ある語り口で身体が動く限り奉仕した。被爆体験、聖コルベの生涯を自身の生き方と信仰生活に絡めた語りは大変好評であった。「みむねの・ままに」「生かされて今日も祈る」ことを最後まで全うした。小崎登明というペンネームで多くの人に知られていた。 小崎登明の部屋