[命]西田正師 日時 2021/10/21 終日


[2021] 司祭 ユリアノ 西田正

10月21日 兄弟ユリアノ西田正神父 

兄弟ユリアノ西田正神父は1946年(昭和21年)5月11日、鹿児島県大島郡笠利村[当時はアメリカ合衆国琉球列島米国民政府統治下、現在の奄美市笠利町]に生まれ、翌1947年(昭和22年)10月14日にカトリック笠利教会にて受洗し、1956年(昭和31年)10月14日に同教会にて受堅しました。

本修道会の入会は、1965年(昭和40年)3月24日に聖母の騎士修道院(長崎県長崎市)と記録があり、同日 志願着衣、修練着衣が行われています。
1966年(昭和41年)3月26日、聖母の騎士修道院にて有期誓願を宣立し、1969年(昭和44年)4月7日、聖ボナヴェントゥラ神学院(東京都東村山市)にて終生誓願を宣立。

1974年(昭和49年)5月26日、カトリック洗足教会(東京教区・東京都大田区)にて助祭叙階。
翌1975年(昭和50年)4月13日(日)、奄美大島の名瀬聖心教会(鹿児島教区、当時 名瀬市)にて、パウロ糸永真一司教(鹿児島司教区第二代、鹿児島使徒座知牧区を含めると第五代)によって兄弟ルフィーノ久保芳一神学生と共に司祭叙階のお恵みをいただきました(二名の兄弟は奄美大島出身)。

1975年(昭和50年)4月13日付、仁川修道院(兵庫県西宮市)所属にて、学校法人仁川学院の小学校の教諭として着任し(1975年4月~1977年3月)、後に中学校・高等学校でも奉仕しました(1977年4月~1981年3月)[仁川学院30年誌参照]。

1981年(昭和56年)4月1日付、奄美大島修道院所属にてカトリック古田町マリア教会助任司祭の任命を受け、同月19日に着任。
1985年(昭和60年)5月20日、海外研修のために奄美を離任し、アメリカ合衆国グランビーの神学院に向かいます(奄美コンベンツアル聖フランシスコ修道会本部修道院業務日誌参照)。
1986年(昭和61年)8月1日、アメリカ研修を終え帰国した兄弟ユリアノ西田神父は、名瀬本部修道院(奄美大島修道院)に帰任。
翌1987年(昭和62年)4月1日付、知名瀬地区教会(司牧地:知名瀬、小宿、根瀬部、大和、大棚、戸円)主任司祭に任命され、同月26日に着任。
1991年(平成3年)4月1日付、引き続き奄美大島修道院所属にて、知名瀬地区主任司祭。
1993年(平成5年)4月1日、奄美大島修道院所属にて、カトリック那覇教区・石垣教会主任司祭に任命。
翌1994年(平成6年)4月1日、引き続き奄美大島修道院所属、那覇教区・石垣教会主任司祭。
1995年(平成7年)4月1日、石川教会主任司祭(那覇教区)。
1997年(平成9年)4月1日、引き続き石川教会主任司祭(那覇教区)。
2002年(平成14年)4月1日、新沖縄修道院(仮称) 院長、石川教会主任司祭の任命を受ける。
2005 年(平成17年)4月1日、新沖縄共同体(仮称)院長、石川教会主任司祭。
2008年(平成20年)4月1日、沖縄共同体所属にて、泡瀬(あわせ)教会主任司祭。
2009年(平成21年)4月1日、沖縄共同体責任者に任命される。
2011年(平成23年)4月1日、引き続き沖縄共同体の所属で、泡瀬教会主任司祭。
2013年(平成25年)4月1日、東長崎修道院(長崎県長崎市)所属にて、東長崎教会助任司祭。
2014年(平成26年)4月1日に東長崎修道院院長、東長崎教会主任司祭の任命を受ける。
2017年(平成29年)4月1日、聖母の騎士修道院(長崎県長崎市)所属にて、東長崎教会主任、学校法人聖母の騎士学園東長崎聖母の騎士幼稚園園長。
2021年(令和3年)4月1日、聖母の騎士修道院所属、東長崎聖母の騎士幼稚園園長。

奄美大島や沖縄などでの司牧が長く、多くの人びととの交わりをたいせつにしていました。晩年は、幼稚園の園長として謙遜に奉仕し、我慢強くあっさりとした性格で、豪快に笑う愛らしい兄弟でした。
今年4月初旬、大腸癌のステージ4期と診断され、抗がん剤の治療を受けながらも使徒職である園長として、子どもたちの姿を見守っていました。

2021年(令和3年)10月11日(月)、気胸のため緊急搬送され、治療を受けていた兄弟ユリアノ西田神父は、19日(火)に肺炎になり危篤状態であるとの知らせがありました。
懸命に頑張っている兄弟のために、本部修道院と各修道院、神学生たちは快復を祈っていましたが、10月21日(木)午後6時15分、神のもとに召されました。75歳。