聖母の騎士社

毎日の黙想

毎日の黙想2025年5月号(4月20日~5月31日)

「毎日の黙想」は米国のTHE WORD AMONG US誌を抄訳した日本語版です。毎日のミサで朗読される聖書のみ言葉のうちのひとつを解説しています。ご自分の祈りの時間に、その日の箇所を祈りとともにお読みになられてから、毎日の黙想を読まれることをお勧めいたします。米国の典礼暦に沿った内容ですので、日本の典礼暦による聖書朗読箇所と合致しない日がありますが、ご了承下さい。発行:聖母の騎士社ページ:A5判 本文64ページ備考:2025年5月号(4月20日~5月31日)価格:583円(税込)■購入ページへ ■年間購読はこちら
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聖母の騎士 あの日の1コマ Vol.46 猿ば撮るサルバトール神父様

今から60年ほど前のこと、サルバトール神父様は大学の夏季休暇中に兵庫県の仁川修道院へお手伝いに行きました。そしてお手伝いの合間に大学で履修していた自然人類学のレポートのために猿の写真を撮りに宝塚ファミリーランドや箕面の猿の出る山へ行きました。ある日、サルバトール神父様宛に暑中見舞いのはがきが届きました。修道院でお手伝いをしていた長崎出身の信者さんはその宛名を見てこう思いました。確かによく「猿ば(を)撮る」神父様に違いないが、宛名にそのように書くのは失礼にあたるのではないかと。このことを周りの人に話したところ、サルバトールとは救い主という意味の修道名だったことが分かり、少し恥ずかしい思いをしたそうです。※長崎の方言で「~を」を「~ば」といいます。聖母の騎士 2025年4月号より掲載
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聖母の騎士 あの日の1コマ Vol.45 御聖体、小神学生の頭頂に沈む

長崎にある聖母の騎士修道院に隣接して、司祭、修道士を目指す中高生を養成する聖コルベ志願院が建っています。 今回はそこに長年携わった修道士さんのお話です。小神学生と生活を共にしていると、ふとした時に成長を感じることがあるそうですが、それを身体的な点で一番感じたのはミサの中で司祭が御聖体を奉持する時だったそうです。小神学校に入ったばかりの中学一年生の小神学生の頭の上には、司祭が奉持する御聖体が高々と上っていたそうですが、時を経るとともに、御聖体が小神学生の頭頂にかかるようになり、やがて夕日のように彼の頭頂に沈んでいったそうです。司祭の奉持する御聖体、小神学生の頭、修道士さんの視点が毎日のミサの中でほぼ位置が変わらないので、必然的に定点観測をすることになったのです。そしてある日、その頭がぱっと無くなった時、小神学生が巣立って行ったことの実感と感慨が胸に去来したそうです。聖母の騎士 2025年3月...
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聖母の騎士 あの日の1コマ Vol.44 心の落ち着く場所

1924年の5月、ゼノ修道士はポーランドのグロドノにある修道院の門を叩き、志願期を開始しました。しかし実際の修道院の生活は思い描いていたものとは異なっていました。「わたし毎日……ストーフそうじ これ焚くですから 床そうじ いつでもこれ。……修道院はいってト毎日祈り よい生活する。これわたし望みあったでしょう……このとき いつでも そうじばかり。わたし世間にいたト自由。たべもの何でも。これですから わたし とでも苦しみありました。わたし おこったですから 夜、ねむりません。」ほどなくしてゼノ修道士は修道院の生活に我慢の限界を感じ、修道院院長のコルベ神父様のもとに行きました。「トントントン!これ叩いたです。コルベ神父さまドア、誰でもいつでもはいっていいです。これ書いた紙ありました。『アア、あなた まだおきていましたか』 『神父さま!わたし うち帰ります。わたし女中ないです!これト修道院来ません...