月刊「聖母の騎士」 1.この人2002   ホームへ   表紙へ

この人2002

 


 ことし8月9日、長崎原爆の日に、テレビ朝日の人気番組『徹子の部屋』にゲスト出演したのは、本島等さんだった。「天皇に戦争責任はあると思う」と発言したことにより、狙撃された、あの長崎市長さんである。
 あの事件から12年がたった。齢(よわい)80歳になる。狙撃されたとき「これで死ぬんだなあ」と思ったという。すぐに、司祭を呼び、終油(病油)の秘跡を受けた。胸を貫通した弾丸は手術台に寝かされてシャツを切り裂かれたとき、ポトンと床に落ちた。ほんの数センチ弾がずれていたら命はなかったかも知れない。
 こんな数奇な運命を経て本島さんは今、静かに老いの日々を送っている。
 市長の肩書がなくなっても本島さんには全国から執筆や講演の依頼が後をたたない。テレビや新聞、雑誌の取材もけっこうある。一貫して主張しているのは、太平洋戦争時の我が国の加害責任である。
「長崎市長時代、16年間、原爆の日に読み上げる平和宣言を書いてきました。最初は原爆を落としたアメリカに非があると訴えました。次に日本がおこなった中国やアジアへの侵略、加害のすさまじさを思いました。原爆や核兵器反対を訴えるだけでは足りない。戦争そのものを起こしてはいけないと思うようになりました。日本がおこなったアジア諸国への侵略と加害について、はっきりと謝罪しなければいけない。韓国の被爆者に対しても、日本人被爆者と同じように援助すべきです」
 本島さんは市長時代、韓国を訪れ、被爆者を見舞った。ことしの元日、長崎の平和祈念像前の座り込みに参加し、海外に住む被爆者にも援護法を国は適用せよ、と訴えた。
 今もフィリピンやインドネシアには、日本人を父とする子どもたちが大勢いる。しかし、その子どもたちに対して援助の手を伸ばす日本人はいない。従軍慰安婦に対して、日本政府は謝罪と償いが必要だ、と本島さんは思う。日本人男性は、女性を大切にすることにおいて、はやく世界レベルに達してほしいと願っている。
 最近、本島さんは杖をついて外出することが多い。12年前の狙撃が急激に体力を奪ったことは十分考えられる。もうひとつの健康問題は、前立腺ガンである。前立腺ガンと宣告されてからは通院して治療を受けている。体力維持のためにスポーツクラブのプールで水の中を歩くのを日課にしている。
 しかし、本島さんの意欲は衰えていない。いま取り組んでいるのは、尊敬する永井隆博士の思想を一冊の本にまとめること。博士の信仰と神の摂理について書き進めている。

 

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前長崎市長
本島 等 さん

 「われらが人にゆるすごとく、われらの罪をゆるしたまえ・・・」本島等さんは近頃、主の祈りを何度も繰り返すという。長崎市長だったとき、暴漢に撃たれた。「ゆるしなさい。そうすればゆるされる」
本島さんはいま、キリストの言葉を静かにかみしめている。