ラルシュかなの家のコミュニティ生活 第一回 コミュニティという言葉を聞いて

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 コミュニティという言葉を聞いて、皆さんは何を想像されますか?「皆が仲がよい」「お互い助け合っている」「争いが無い」……

私は静岡にあるラルシュかなの家のアシスタント(職員のことをかなの家ではアシスタントと呼んでいます)の横井というものです。かなの家に来て11年が経ちました。最初はコミュニティというもの、そして「ラルシュ」というものに対して先に書いたような思いを持っていましたが、それは「幻想」だと知るまでにあまり時間は掛かりませんでした。

ラルシュは1964年、ジャン・バニエという当時哲学の先生だった方が、知的障害の人たちが精神病院のようなものに入れられ、人間らしい生活が出来ていないという光景を目の当たりにし、フランス・トロリー村でラファエルとフィリップという二人の知的障害者と一緒に暮らし始め、その家をラルシュ(LʼArche 方舟の意味)と名付けたことが一番の始まりです。ジャン・バニエはその生活の中で、知的障害者といわれるそのメンバーが、人と人を結び合わせる力、祝う力、赦す力という、競争社会に生きる「健常者」と呼ばれている人たちが無くしてしまっている「心」を持っていることに気づき、その人たちから学ぶべきものがあることを見出しました。その理念に共感した若い人たちが周りに集まり始め、イギリス、そしてインド、カナダにコミュニティが出来、現在は38カ国、150カ所に広がるコミュニティとなっています。

かなの家は1978年、山梨県忍野村の聖ヨハネ学園で暮らしていた田浦実さんというメンバーと佐藤仁彦・富美恵夫妻が、人間らしい生活を求めて静岡・足久保の地で生活をはじめたことが由来です。はじめは廃品回収で生計を立て、朝は早く、夜は遅いという生活を送られたと聞いています。知的障害のメンバーもその中で必死に働き仕事を覚えていく中で自信がついていき、話すことの無かったメンバーが話すようになったり、顔の暗かったメンバーが明るくなっていったそうです。しかしある時から仲間の顔が暗くなり始め、行き詰まりを感じるまでになったそうです。その時佐藤さんは知り合いからラルシュの話を聞き、ジャン・バニエの話を聞きにフランスへ渡り、その時に「これだ」と感じ、ラルシュに加盟しようと動き始められ、色々な方の協力を得、1991年にラルシュに加盟した、という歴史があります。この歴史を見るだけでも、葛藤や苦しみが無ければ、ラルシュかなの家は生まれなかったと私は思うのです。(ラルシュかなの家 横井圭介)

聖母の騎士 2019年1月号

社会福祉法人ラルシュかなの家 https://larchejapankana.localinfo.jp/