10月3日 熾天使的師父聖フランチェスコの帰天祭( The Transitus )

熾天使的師父フランチェスコは1226年10月3日の晩、アッシジ郊外のポルチウンクラで神のもとに召されました。

10月3日夕刻から全世界の小さき兄弟会(通称:フランシスコ会)の各修道院では、師父聖フランチェスコの帰天祭が行なわれます。
そして、コンヴェントゥアル小さき兄弟会けがれなき聖母日本管区の各修道院でも兄弟たちが集い、祈りを共にします。
例年は、在世フランシスコ会の会員たちも参加し、帰天祭のひと時を共に過ごしていますが、2020年と2021年は新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から見合わせることになりました。また今年は年間第27主日と重なるため、午前11時からベネディクション(聖体賛美式)を兄弟と大神学生とで行い、霊的な交わりのひと時を過ごします。

師父聖フランチェスコの聖遺物が安置された祭壇の前で、司祭が献香し、「兄弟なる太陽の賛歌」を唱え、再度 司祭が献香した後、祭儀への招きの言葉を簡単に述べます。
そして師父の帰天する当時の模様を伝記から抜粋された箇所が朗読され、詩編142が唱えられました。

Cantico delle Creature

Altissimu, onnipotente, bon Signore,
tue so’ le laude, la gloria e l’honore et onne benedictione.

Ad te solo, Altissimo, se konfano,
et nullu homo ène dignu te mentovare.

Laudato sie, mi’ Signore cum tucte le tue creature, spetialmente messor lo frate sole, lo qual è iorno, et allumini noi per lui.

Et ellu è bellu e radiante cum grande splendore:
de te, Altissimo, porta significatione.

Laudato si’, mi’ Signore, per sora luna e le stelle:
in celu l’ài formate clarite et pretiose et belle.

Laudato si’, mi’ Signore, per frate vento et per aere et nubilo et sereno et onne tempo, per lo quale a le tue creature dài sustentamento.

Laudato si’, mi’ Signore, per sor’acqua, la quale è multo utile et humile et pretiosa et casta.

Laudato si’, mi’ Signore, per frate focu, per lo quale ennallumini la nocte:
ed ello è bello et iocundo et robustoso et forte.

Laudato si’, mi’ Signore, per sora nostra matre terra, la quale ne sustenta et governa, et produce diversi fructi con coloriti flori et herba.

Laudato si’, mi’ Signore, per quelli ke perdonano per lo tuo amore, et sostengo infirmitate et tribulatione.

Beati quelli che ’l sosterranno in pace, ca da te, Altissimo, sirano incoronati.

Laudato si’, mi’ Signore, per sora nostra morte corporale, da la quale nullu homo vivente pò skappare:

guai a quelli che morrano ne le peccata mortali; beati quelli che trovarà ne le tue sanctissime voluntati, ka la morte secunda no ’l farrà male.

Laudate et benedicete mi’ Signore et rengratiate et serviateli cum grande umilitate.

兄弟なる太陽の賛歌 (すべての被造物の賛歌)

いと高い、全能の、善い主よ、
賛美と栄光と誉れと、すべての祝福はあなたのものです。
いと高いおかたよ、このすべては、あなただけのものです。
誰も、あなたの御名を呼ぶにふさわしくありません。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
特に、主である兄弟太陽によって。
すべての、あなたの造られたものと共に。
太陽は昼であり、あなたは、太陽でわたしたちを照らします。

太陽は美しく、偉大な光彩を放って輝き、
いと高いおかたよ、
あなたの似姿を宿しています。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
姉妹である月と星のために。
あなたは、月と星を天に明るく、貴く、美しく創られました。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
兄弟である風のために。
また、空気と雲と晴天と あらゆる天候のために。
あなたは、これらによって、ご自分の造られたものを扶け養われます。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
姉妹である水のために。
水は、有益で謙遜、貴く、純潔です。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
兄弟である火のために。
あなたは、火で夜を照らされます。
火は美しく、快活で、たくましく、力があります。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
わたしたちの姉妹である 母なる大地のために。
大地は、わたしたちを養い、治め、さまざまの実と、
色とりどりの花草を生み出します。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
あなたへの愛のゆえに赦し、病と苦難を
堪え忍ぶ人びとのために。

平和な心で堪え忍ぶ人びとは、幸いです。
その人たちは、いと高いおかたよ、
あなたから栄冠を受けるからです。

わたしの主よ、あなたはたたえられますように、
わたしたちの姉妹である 肉体の死のために。
生きる者は誰でも、師から逃れることができません。

大罪のうちに死ぬ者は、不幸です。
あなたの、いと聖なる 御旨のうちにいる人びとは、幸いです。
第二の死が、その人びとを そこなうことは、ないからです。

わたしの主をほめ、たたえなさい。
主に感謝し、深くへりくだって、主に仕えなさい。

臨終の時が迫った師父聖フランチェスコは、「姉妹なる死」を歓迎し、主を賛美しました。今や師は、自由の身となって主のみもとに行けるからです。師父は両手を天にあげ、生涯を通して心から愛し、見ならって来たキリストにすべてをゆだねました。師父は又、最後まで兄弟たちを愛しておられました。そこで居合わせた兄弟たちは、師父を苦しめたことについて許しを願い、祝福してくれるようにと懇願しました。師父は兄弟たちの一人ひとりの頭に手をおいて、その過ちや無礼を許しと宣言し、「ここにいないすべての兄弟たちに、わたしの言葉を告げ、わたしの名によって祝福を与えてほしい」と言い添えました。

10月2日金曜日、兄弟たちが悲しみに沈んでいる時、師父は、パンを持って来させ、これを祝福し、割って兄弟たちに食べるようにと分け与えられました。師父は、主が弟子たちとともにささげられた聖なる最後の晩餐の様子を心に浮かべながら、主キリストがなされたように、兄弟たちにも愛をお示しになりたかったのであります。

翌10月3日、師父の希望で、ヨハネよる福音の御受難の箇所が読みあげられました。夕暮れが近づいたころ、いよいよ死が迫ったことを知った師父は、「ようこそ、姉妹なる死よ」と丁寧に迎え、「わたしを永遠の生命に導いてくれるのは彼女である」と言い添えました。師父は大地に粗布を敷いてその上に寝かせてもらい、死をたたえるために、灰と塵とを振りかけてもらいました。それから、ほとんど聞こえないほどの声で詩編142を歌い出されました。【チェラノのトマス「魂の憧れの記憶(聖フランシスコの第二伝記)第二巻参照】

詩編142
声をかぎりに神を呼び求め、
わたしは大声で神に祈る。
嘆きを訴え、あなたの前に悩みを打ち明ける。
わたしは弱り果てた時も、
神はわたしの歩みをも守ってくださる。
わたしが歩む道には、罠がかけられている。

辺りを見回しても わたしを助ける者はない。
わたしは逃げる所もなき、いのちを救う者もいない。
神よ、あなたに向かってわたしは叫ぶ。
「あなたはわたしの拠り所、わたしのいのちのすべて。」

わたしの叫びに心を留めてください。
わたしは打ちひしがれている。
虐げる者から救ってください。
彼らはわたしよりはるかに強い。

わたしを捕らわれの身から救い出してください。
わたしは救いの恵みに感謝し、
あなたに従う人の集いのなかで
あなたの名をたたえる。

栄光は 父と子と聖霊に。
初めのように 今も いつも世々に。アーメン。

再び司祭は、祭壇の前で献香し、一人ずつ小祭壇に近づき師父の聖遺物に一礼をして崇敬を表わします。
そして司祭の祈願文の後に、遺言が朗読されました。

師父聖フランシスコの遺言
主は、私・兄弟フランシスコに、償いの生活を、次のように始めさせてくださいました。私がまだ罪のなかにいた頃、ハンセン病者を見ることは、余りにもつらく思われました。それで、主は自ら私を彼らのなかに導いてくださいました。そこで、私は彼らを憐れみました。そして、彼らのもとを去った時、以前につらく思われていたことが、私にとって魂と体の甘味に変えられました。こうして私は、その後しばらくとどまって、世俗を出ました。
主が聖堂に対する深い信仰を与えてくださいましたので、私は簡潔に祈って言いました。「主イエズス・キリスト、私たちは、全世界のすべての聖堂において、あなたを礼拝し、賛美します。あなたは、聖なる十字架によって、世を贖ってくださったからです」。
その後、主は、聖なるローマ教会の教えに従って生活する司祭たちに対して、その聖位のために、私に大きな信仰を与えてくださいました。そして、今も与えてくださっています。それで、たとえ彼らが私を迫害しても、彼らにより頼みたいと思います。またたとえ、ソロモンが持っていたような勝れた知恵を持っていて、この世の貧しい司祭にあったとしても、私は、彼らの住む小教区内で、彼らの意志に反して、説教するのを望みません。また、このような司祭および他のすべての司祭を主のように畏れ、愛し、敬いたいと思います。また、彼らのうちに罪を考えたくありません。なぜなら、私は、彼らのうちに神の御子を認めるからであり、彼らは、私の主だからです。私がこのように行うのは、現世において、いと高き神の御子について、目で見るものといえば、ただ主のいと聖なる御体と御血だけであって、これを司祭が受け、また司祭だけが他の人びとに授けるからです。このいと聖なる秘跡が、万事に越えて敬われ、崇められ、尊い場所に安置されるように望みます。書き記された主のいと聖なる御言葉を、ふさわしくないところに見いだしたならば、いつでもそれを拾い上げようと思います。また他の人びとも、それを拾い上げて、ふさわしい場所に安置するよう、お願いします。また私たちは、すべての神学者、およびいと聖なる神の御言葉を伝える人びと、私たちに「霊と命」を与える人として(ヨハネ6:64)、尊び敬わなければなりません。
主が私に兄弟たちをお委ねになりましたとき、私が何をなすべきかを教えてくれる人は、誰もいませんでした。しかし、いと高きお方が自ら、聖福音の教えに従って生活すべきことを、啓示してくださいました。それで私は僅かな言葉で単純にそれを書きしるさせ、教皇は私のために裁可してくださいました。また、この生活に入るために来た人びとは、所有することのできたすべてを貧しい人に与えて、裏と表を繕った一着の修道服と帯とズボンがあれば、満足していました。私たちは、それ以上、何も持とうとは望みませんでした。私たち聖職者は、他の聖職者と同じように、聖務日課を唱え、聖職者ではない兄弟たちは、主祷文を唱えました。また、私たちは喜んで聖堂にとどまりました。私たちは無学な人間で、すべての人に従属していました。
私はまた、自分の手で働きました。そして今も働くことを望みます。すべての兄弟もふさわしい仕事に従事するよう、切に望みます。働くことを知らない人は、それを学びなさい。しかし、これは働きの報酬を受ける欲望のためではなく、模範を示し、怠慢を避けるためです。働きの報酬が与えられないときには、戸ごとに施しを求めて、主の食卓に頼りましょう。主は私にあいさつの言葉を啓示してくださいました。私たちはこういうべきです。「主があなたに平和を与えてくださいますように」。
兄弟たちは、聖堂・小さな貧しい住居・その他、自分たちのために建てられるすべてのものが、会則のなかで私たちの約束した聖なる清貧にふさわしくなければ、決して受け取らず、常に「寄留者および旅人」として、そこにとどまるよう(Ⅰペトロ2:11参照)、注意しなければなりません。私はすべての兄弟に従順によって固く命じます。「兄弟たちは、どこにいても、自分または他の人を通じて、聖堂や他の場所のために、または説教を口実に、あるいは迫害を逃れるために、ローマ教皇庁に敢えて書簡を願ってはならない」と。どこでも迎えられないところがあれば、神の祝福をいただいて償いを行うために、他の所に逃れてください。
また、私は、本兄弟会の総長と、彼が心にかなうとおりに私に与える修道院長とに服従することを固く望みます。そして、従順とその意志とを超えていくことも、行なうこともできないほど、固く彼の手に結ばれていることを望みます。なぜなら、彼は私の主だからです。
私は平凡で弱い者であるにもかかわらず、会則に定められているとおりに、私のために聖務日課を唱える聖職者がいることを常に望んでいます。他のすべての兄弟も、このように自分の修道院長に服従し、会則に従って聖務日課を唱えなければなりません。会則に従って聖務日課を唱えず、他の方法に変更しようと思っているものや、カトリック信者でない者が見つかった場合には、兄弟たちは皆、どこにいても、従順によって次のように行わなければなりません。すなわち、どこでそのような者を見つけても、その見つけた所で最寄りのクストスに、彼を渡さなければなりません。クストスは、自ら彼を管区長の手に渡すまでは、自分の手から奪われないように、彼を囚人のように昼夜厳重に看守するよう、従順によって固く義務づけられます。管区長は、彼を囚人のように昼夜看守すべき兄弟たちに命じて、本兄弟会の主であり、保護者であり、矯正者であるオスチアの司教に手渡すまで、彼を護送させるように、従順によって固く義務づけられています。
兄弟たちは「これをもう一つの会則である」と言ってはなりません。なぜなら、これは回想と訓戒と激励と私の遺言だからです。これを私・小さき兄弟フランシスコが祝福されたあなたがた兄弟たちに与えるのは、私たちが既に約束した会則を、いっそうカトリック的に守るためです。総長も、他のすべての管区長やクストスも、これらの言葉に何かを追加したり、削除したりすることのないよう、従順によって義務づけられています。また、会則と共にこの書き物を常に携え、開催するすべての集会において、会則を朗読するときには、これらの言葉も合わせて朗読してください。私は、聖職者と非聖職者のすべての兄弟に、従順によって固く命じます。「『意味はこうである』と言って、会則にも、これらの言葉にも傍注を加えてはならない」と。むしろ、主が私に会則とこれらの言葉を単純かつ純粋に述べさせ、書き記させてくださったように、あなたがたも、単純に何の傍注も加えずにこれを理解し、聖なる行いをもって最後まで守ってください。これを守る人は誰でも、天国では、いと高き御父の祝福に満たされ、また、地上では、御父の最愛の御子と、慰め主である聖霊と、天国の諸能力および諸聖人の祝福で満たされますように。また、あなたがたの僕である私・小さき兄弟フランシスコも、できるかぎり、内的にも外的にもこのいと聖(とうと)い祝福を確かなものとします。アーメン。

朗読の後、司祭は最後に師父聖フランチェスコの訓戒と奨励を与えます。

兄弟たちへの師父聖フランシスコの奨励

親愛なる兄弟にして、永遠に祝福されたこどもたちよ、
私に耳を傾け、私のことばを聞きなさい。
私たちは大きなことを約束しました。
より大いなることが約束されています。
これを守り、それを乞い求めましょう。
快楽は短く、罰は永遠です。
苦しみは少なく、栄光は無限です。
召される者は多くいますが、選ばれる者はわずかです。
すべての者に報いが与えられます。
兄弟たちよ、時のある間に、善を行ないましょう。
【チェラノのトマス「魂の憧れの記憶(第二伝記)」参照】

聖フランチェスコの祝福

主があなたを祝福し、守ってくださいますように。アーメン。
主があなたがたに御顔を示し、憐れんでくださいますように。アーメン。
主があなたがたに御顔を向け、平和を与えてくださいますように。アーメン。
benedicat tibi Dominus et custodiat te. Amen.
ostendat Dominus faciem suam tibi et misereatur tui.  Amen.
convertat Dominus vultum suum ad te et det tibi pacem.  Amen.
【民数記 6:24-26参照】